沙希の見たまま、思ったまま!

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教科書改訂で思うこと

文部科学省「次期学習指導要領」の骨格案を発表しました。

近現代史中心の新科目「歴史総合」の創設が盛り込まれました。

選挙権年齢が18歳以上に引き下げられることから、「公共」を創設するという。

 国語の再編成、数理探求、英語の四技能総合型の科目の必修と、

いろいろ改定がなされるようです。

 

 

失敗は繰り返される

 

「受験戦争」という言葉を持ち出して、

「ゆとりある学習」を唱えた改定がありました。

それが、どんな結果をもたらしたのかの反省は、

どう分析されて、どう生かされたのでしょうか?

 

以前の高校では、

英語は、英文法、英文読解(解釈)、英作文が、

独立した科目で、高いレベルの学習ができました。

数学は、数学Ⅰ、代数・幾何、基礎解析、数学Ⅲと、

数学的な考え方で、分けて学ぶことができました。

国語も、理科も、社会も、

独立した科目で、きっちりと学習してきました。

 

それらをすべて“ぶち壊し”にしたのが「ゆとり教育」でした。

 

小学生は「勉強する」ということを教えられず、

中学生の学力低下をまねき、

高校生の「落ちこぼれ」を大量に生み出した「ゆとり教育」。

 

それでもなお、

「学習者の負担を考慮」して、

「効率よい学習」を求めています。

 

いまだに、「ゆとり」に縛られた考え方で、

今回の改訂も行われようとしているのではありませんか?

 

 

学者の意見は危険です

 

中教審の「偉い先生がた」は、教育の現場を知らな過ぎます。

学者は統計学的に数量化して考えます。

時代の方向性だけから、物事を判断します。

 

国際化が強調されて、世界史を必修科目としました。

現実に即していないので「未履修問題」が発覚しました。

未履修への対応はなされましtが、

なぜ起きたのかの検証はなされないままでした。

 

さらに、日本史必修を求める声が根強くあるので、

まるで「政治決着」を図るかのように、

「歴史総合」の創設が盛り込まれました。

 

「主権者教育の重要性が増している」という展望から

「公共」という科目を必修化します。

新聞も読まない、ニュースも聞かない高校生に、

そんな教育を期待しても効果はありません。

それよりも、現代社会や政治経済の基礎を、

しっかりと身につけさせることの方が先ではありませんか?

 

現実の実態を考慮できない先生がたが、

どんな施策を打ち出しても、現実と乖離したものしか生まれません。

 

 

競うことは大益小害だ

 

成績競争、点数競争、受験戦争、

私は、大いに歓迎します。

 

高校生までは、競争の中で生き残る術と知識を身につければいい

 

今も昔も、

点数が取れるものが合格し、

点数が取れないものが不合格になるのが試験です。

 

OA入試や、個人評価の入試が盛んですが、

知識も学力もない生徒を受け入れて、

どうして、世界に通用する大学教育ができますか。

生物を履修していない“優秀な学生”を受け入れた医学部や看護部で、

予備校の先生を招いて補習をした、という、

笑い話のようなことがおきたではありませんか。

 

特に、高校では、

基礎知識をいっぱい身につけさせておくことが必要です。

日本史も世界史も地理も、すべて履修させるべきです。

物理も化学も生物も地学も、すべて履修させるべきです。

英語も数学も、もっと強化するべきです。

 

そうした基礎知識・学力を身につけた学生たちが、

それらを基にして、大学で、より高度な研究ができるようになります

 

 

唯一許せること

 

国語では、現行の「国語総合」が必修科目となっていますが、

教材の読み取りが中心となっていて、

言葉全体の理解と運用にはほど遠いものとなっています。

 

「話す・書く」など、実生活で活用する国語力の育成や、

言語文化への理解を深める科目を必修にしようとしています。

 

この部分だけは賛成できます。

 

文章を書く能力が築かれていません。

論理的に、筋道を立てて表現する能力に欠けています。

この部分を強化することには同感です。

 

しかし、それすらも知識や学力が身に付いていないと、

なかなか効果的な指導は難しいでしょう。

 

もっと現実を考慮してください。

もっと子供を見てください。

もっと学習制度を考えてください。

 

そして、「道徳教育」を充実させて、

当たり前のことを、当たり前に考えることのできる

子供たちを育てることができるようにしてください。

 

 

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