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沙希の見たまま、思ったまま!

沙希が見たまま、思ったままの気持ちや感想を、お伝えします!

川は生きている!

ある学習塾の先生が、

月例の、生徒や保護者に宛てたお手紙です。

2008年のお手紙ですが、自然と向き合う姿勢が綴られています。

 

 

自然の力に関心を持ち始めたのは小学生のときでした。

学校に小さな池を作りました。

 

深さ1メートルほど瓢箪の形に土を掘り、

その底と側面は田んぼから運ばれた土を

30センチほどの厚さに塗りつけ、

泥の容器を作り、

その泥の上に石を貼り付けるようにデザインし、

周りには花を植えました。

 

川から捕ってきたフナやメダカ・ドジョウなどを入れて育てました。

浮き草も浮かべ、どこからか蛙も仲間に入り、

子供にとっては“小さな1つの自然界”のように思えました。

 

ある日、小さな魚が何百匹も泳いでいました。

なんだろうと見守っていたら、

多くはフナなどが食べてしまいましたが、

十数匹は成長しました。

 

モロコが生まれていたのです。

 

猫に狙われた魚が池の外で死んでいるのは見ましたが、

池の中に魚の死骸を見たことがありませんでした。

 

“どうしてなんだろう?”

 

 また、父は花火大会を企画し、実現しました。

スポンサーの方や販売店の方々に支えられて、順調に育って、

今ではあちこちで「中日花火大会」が開催されています。

 

大会の翌日には朝4時ごろから河川敷の清掃がありました。

父は陣頭指揮で、私も手伝いに行っていました。

多くの人々が大粒な汗を流しながら川をきれいにしていました。

 

「川を大事にしないとね。」

と、ある新聞店のご主人が話してくれました。

 

 大学では「地域開発論」を専攻しました。

さまざまなテーマの中から“川”を選びました。

 

京都府由良川の流域開発を手がけ、

地域の人々と夜中まで何日も話し合い、

1つの村の総合開発をしました。

 

老人しかいなかったその村は、

今では鮎つりの名所となり、

河川敷公園は週末には家族連れで賑わい、

道路の整備が進んで京都市内へのアクセスが確保され、

後継者たちも戻ってきて、農業も復活しました。

 

川を大事にすることで“村が甦った”のです。

 

そのころ、台風で岐阜県南濃町の堤防が決壊しました。

現地を視察して驚きました。

 

「近代工法」で改修された堤防が決壊したのです。

 

上流まで揖斐川をさかのぼると、

いたるところで近代的改修が施されており、

当時の私の考えからは

「川を押さえ込んでいる」としか思えませんでした。

 

近代工法では、その川の歴史を無視します。

現実だけを見て、偏った理論だけで対策を設計します。

 

川は生きているのです。

砂も石も草も魚も、そしてそこに住む人々も。

何も考慮されないまま改修・補強がなされているのが現実なのです。

 

そんな揖斐川の上流に、

あの巨大な徳山ダムを作ってしまったのですから、

この川はいずれ、醜い奇形を露呈してくるでしょう。

先に述べた決壊は、

1200年ほど前のこの川の本来の流れに戻ろうとしたに過ぎないのです。

窮屈な流れに、川が怒ったのです。

 

まだまだありますが、

私はこのように“命の源である川”を通して“

自然を考える”ようになったのです。

 

「人間が、自然と闘っても、絶対に勝つことはできない!」

この先生は、常々、こうおっしゃっていました。

 

今、長良川河口堰の開門調査をしよう、という話題があります。

いくら大規模事業であろうと、

見直すべきところは見直すべきではありませんか?

 

「ダムのない川」に、

長良川を戻したいと思いませんか?