真田の隠し湯
戦国時代の隠し湯
NHKの大河ドラマ「真田丸」はいよいよクライマックスに入りましたね。
「真田幸村」という名前は、ドラマではクジを引いて決めたとありましたが、
江戸時代の軍記物作者が創作したと聞いたことがあるのですが、
本当のところはどうなんでしょうね?
正しい名前は「真田信繁」ということは史実に一致しますが・・・。
戦国時代には、日本中の各地で、おびただしい数の合戦が繰り広げられて
きました。
そこでは、多数の戦死者や負傷者を出していたことでしょう。
それにもかかわらず、戦国武将たちは次々と戦いを始めています。
どうして、そんなことができたのか、不思議でなりません。
「ひょっとして、これがあったからじゃない?」
と、浮かんできたのが「隠し湯」と言われるものの存在です。
“島の湯・川浦湯・下部湯”で、それぞれ現在の
川浦温泉(山梨県山梨市三富川浦)
です。
これらの三つの温泉の効用はいずれも
外傷・打撲・骨折に効くというものです。
外傷ということは、
刀槍の傷や鉄砲傷にも効果があったのでしょう。
つまり、隠し湯は、合戦で傷ついた傷病兵たちの
療養センターであったと考えられますね。
そうであれば、戦国武将たちが次々と合戦ができたことも
合点がいきます。
真田の隠し湯は、どこ?
武田信玄に仕えていた天文19(1550)年に、
武田信玄は、村上清方の戸石城を攻めたのですが、
大失敗に終わり、二千を超える負傷者をだしました。
有名な「戸石崩れ」です。
この、二千を超える負傷者を治癒したのが、
真田の隠し湯と言われる
「角間」の地名の由来が
「隠れ間」から来たのではないかと言われていますので
まさに隠れ湯であったのでしょう。
また、近くには有名な「別所温泉」があり、
長野県上田市は、
真田の発祥地である「真田郷」があるので、
真田信繁(幸村)も、好んで入っていたかもしれません。
鎌倉時代に発見されたという歴史ある温泉、
真田の隠し湯であったと考えられます。