やる以上、やり切る!
再び、塾長のお話です(笑)
塾長は、ご高齢(現在60歳代の半ば)にも関わらず、とてもお元気なのです。毎朝5時くらいから10kmほどのジョギングをされています。どう考えても帰宅されるのは11時過ぎのはずなのに、「いつ寝るの?」ってかんじで見ていますが、「毎晩、晩酌は欠かせなくてねぇ!」なんて仰っているので、ますます不思議です。
この塾長が、父兄会でお話されたことを覚えています。
(前略)
私は、自分に責任のないことで幼稚園を3度クビになり、人間、特に同世代と先生という立場の人を信じませんでした。
小学校では、とにかく目立たないように、いじめられっ子に甘んじていました。4年生になって野球のクラブチームに入りましたが、ヘタクソでずっとボール拾いでした。
転機は突然に訪れました。放課後、みんなが遊ぶ姿を運動場の端っこで見ていたら、同級生が「運動場を100周走ろう!」と言ってきました。「100周なんて走れない!」と返事をしたのですが、「やれるだけ、やってみようよ!」と勧めてくれたので、走りました。そして完走できたのです。
その同級生が「日曜日に、長良川へ泳ぎに行こう!」と誘ってくれました。私は泳げなかったけれど、水に入ることは好きでしたので、了承しました。「横断しよう!」と、彼は無謀にも私を川の中へ連れて行き、「やれるだけ、やってみようよ!」と泳ぎ始めました。私もついて行き、泳ぎきれました。
この成功体験は「挑戦しさえすれば、できることがある!」ということを教えてくれました。
「もう、いじめられっ子はやめよう!」と決意しました。小2から始めていた剣道に打ち込みました。ボクシングも始めました。少林寺拳法にも通いました。野球も頑張りました。
中学では、野球に陸上、剣道と掛け持ちで部活三昧の毎日を送りました。それでもボクシングのジムへは時々通っていました。勉強は「授業中はきちんと取り組む」ことと「宿題は必ずやる」という、一見“マジメ”な生徒でしたが、授業中におしゃべりをする子を教室からつまみ出すほどの”ワル”の一面も発揮していました。
野球と剣道の全国大会が終了して、受験勉強を始めました。英語は英検2級をとっていたので良かったのですが、数学は壊滅的で、理科・社会は覚えられない。そこで数学は先生に添削をしてもらい、理科・社会は教科書を読み込みました。どれだけ読んでも覚えられないので、忘れる前に覚える覚悟で読み込みました。最後の試験で高得点が取れたので、先生の反対を押し切ってトップ高を受験し、見事に不合格でした。
合格できた高校で大学受験の勉強を始めました。毎日6時間以上、土曜日は徹夜で勉強しました。またもや部活は3つ掛け持ちだったので、普段の睡眠時間は3時間ほどでした。「やる以上は、やり切る!」というのが信条になっていたので、部活を理由に勉強時間を減らすことはまったく考えませんでした。毎日、毎日、やるべき勉強がたくさんあるので、それは大変でしたが「〇〇外語大学へ入る!」という一念で自分をきびしく律しました。
2年の秋の全国模試で「全国で〇位」の結果を出しました。それ以降の勉強は、それほど辛くはありませんでした。学力は、一度身につけてしまえば、どんどん伸ばせます。この「身につけてしまう」までは、汗と涙と努力の結集ですが、そこを乗り切れば、あとは伸びるばかりです。そして、勉強は、いえ、学力は、頭の良し悪しではなく、誰でもできるようになる、ということを実体験しました。
私は「高校3年間で、人生を取り戻した!」と感じています。その後は、中小企業診断士をはじめ難関資格も大学生の時に取得できました。
誰でも、ココという時に努力を集中させれば、勉強はできるようになる、学力は向上させることができる、ということを皆さんに伝えたいのです。
(後略)
このお話は、私が高校入試をはじめる中学3年生になるときに、父兄会でお聞きしました。帰り道で母親と「私にもできるかもしれない。」と会話しながら歩いていました。私にとって、塾長は“神”とも思える存在で、憧れの存在でもありました。
私がトップ高に入学できたのも、一流と言われる大学へ進学できたのも、この塾の、この塾長のおかげなんです。ですから、私の考え方は、すべてと言っていいほど、塾長に似ています。
私も入院中に、子供たちの役に立つことを「やれることを、やってみよう!」と思って綴ってきたのが「公立高校への英語問題集」というサイトです。見つけてくれた方のお役に立てればいい、と思いながら作り上げました。最後の方は少しインパクトに欠けてきた記事にはなっていますが、本編では、塾長から教わった「考える英語の学習」が伝えられていると思います。よろしければ一読していただけたらと思います。